Masuk* * *
それから月日は流れ、とある朝。 「もう一ヶ月になるのね…………」 リリシアは窓拭きの手を止め、嘆き息を吐く。 家を元に戻したい、姉の役に立ちたいと日々奮闘しながら勤め、ようやく慣れてきたけれど、月を見る度に体調が悪くなり、体質がバレないかとひやひやするのは相変わらず続いている。 ふと何やらざわめく声が聞こえ、リリシアは視線を送ると、宴の部屋の前にメイド達が集まっていた。 一体なんの騒ぎだろう? リリシアも近づき、少し開いた扉から中を覗く。 するとルファルが舞台の椅子に座り、黒色の大きくお洒落な楽器を弾くうるわしの姿が両目に映った。 「ルファル様のグランドピアノの演奏素敵ね」 「うっとりしちゃう。ずっと聴いていたいわ」 グランドピアノ……そういえば、姉が元気な頃、高貴な楽器で一度弾いてみたいと言っていた。まさか、こんな身近で見ることが叶うなんて。 覗いていると、後ろからメイド長の声が響いた。 「お前達、掃除をサボって何やってんだい!」 メイド達は振り返る。 「早く持ち場に戻りな!」 メイド長の激怒により、メイド達は渋々戻って行く。 そんな中、リリシアは演奏を止めたルファルと目が合う。 (わたし、汚い窓拭きの布を持ったまま何を。マズイ) リリシアも慌てて窓へと戻った。 だが、その後もリリシアは度々、ルファルのグランドピアノの演奏を耳にし――、ある夜、ハクヴィス邸で夜の宴が開かれた。 (行かなきゃ) リリシアは意を決してベッドから立ち上がるも、すぐにふらつき、ベッドに倒れ込む。 月さえ、出ていなければ。 リリシアは一人惨めにシーツをぎゅっと握り締め、ただただ部屋に籠るしかなかった。 * * * 「そういえば、一人、足りないな」 夜の宴でのピアノの演奏後、ルファルはワインを片手に呟く。 すると隣のカイスが耳元で囁き伝える。 「……リリシアが出席していないもようです」 「ほう」 ルファルの顔が冷酷無慈悲な表情へと変わる。 するとカイスがメイド長を鋭く睨む。 「メイド長、何をしている!? リリシアを今すぐ連れて来い」 「申し訳御座いません! 宴に出席しない者等、今までおりませんでしたので、てっきり全員いるとばかり。直ちに……」 「連れて来なくても良い」 ルファルが怒りに満ちた声で静かに告げ、メイド長の声を遮る。 そして、ワイングラスをテーブルに置き、ふとリリシアとの初日の対面を思い出す。 …………そういえば、彼女の隣を通り過ぎた時。 ルファルは顎に手を添え、ある考えへと辿り着いた。 * * * そして翌日の朝、リリシアはルファルに呼び出しを受けた。 理由は昨日の宴のことに違いない。 リリシアは書斎の席のルファルを前に内心怯える。 するとルファルが組んだ手を机に乗せたまま、口を開いた。 「下働きの分際で、私の宴に参加しないとは良い度胸だな」 「あ、申し訳……ございません」 「夜は何をしていた?」 体調が悪く寝ていたと言えば、体質のことがバレてしまうかもしれない。ごまかさなきゃ。 「その、雑務の掃除を……」 「メイド達に押し付けられたと?」 「い、いえ、自分が担当する掃除が終わらなくて……」 「そうか。もういい」 (良かった、なんとか乗り切れた……) 「では、失礼いたします」 リリシアは深々と会釈し、出て行こうとする。 「今は“月の香り”がしないのだな」 リリシアはルファルの言葉に立ち止まる。 そうだ。初対面の日、ルファルは、『――仄かに月の香りがするな』と囁いて――。 リリシアは恐る恐る振り返る。 「な、なんのことでしょうか……?」 すっとぼけると、ルファルは冷ややかに衝撃的な言葉を告げた。 「罰には丁度良い。お前、私の花嫁候補になれ」――もしも、自分の両親が、姉が、と思ったら、胸が苦しくなった。(けれど、わたしはまだ恵まれている……呪いはあるものの、みんな生きているのだから)場がしんみりすると、ルファルが静かに立ち上がる。気分を悪くし、部屋から出て行くものばかりだと思ったが、ルファルはその足取りで舞台のグランドピアノまで歩いていき、椅子に腰を下ろす。するとエルシーが目をキラキラと輝かせる。「ルファル様!? きゃっ! 今から演奏してくれるの!?」「お前の為じゃない」ふいに視線が重なり、リリシアの心臓が跳ねるもルファルはすぐさま視線をピアノの鍵盤へと落とし、演奏し始める。それはまるで、花嫁候補となる前、夜の宴に参加出来なかった自分へ向けられているような、今宵を祝福するような旋律だった。窓から差し込む月光に照らされたルファルの横顔は、あまりに美しく儚げで――静かに涙が溢れた。* * *「リリシアちゃん、今宵はありがとう。とっても楽しかったわ」ルファルの演奏後、邸宅の玄関の扉前でリリシアはエルシーにお礼を言われた。ぎゅっと両手を握られながらのふわりとした微笑みに、胸が熱くなる。「いえ、こちらこそ……、楽しかった、です」リリシアは伝えてからハッとする。星の魔術師にこんな返しは失礼だっただろうか?不安に思うと、エルシーにぎゅっと抱かれた。「きゃ~、可愛い!」どうやら、大丈夫だったようだ。リリシアは心の中で安堵する。が、エルシーは思いがけないことを口にした。「やっぱり、帰りたくない~! そうだわ、今宵はもう泊まっていこうかしら」(え……泊ま、る?)驚くのも束の間、ルファルの手によってエルシーから引き離された。「とっとと帰れ」「もう、薄情なんだから! じゃあ、リリシアちゃん、ルファル様、またね」エルシーが手を振り、リリシアも振り返す。その時だった。異様な気配を感じたのか
だが、隣からルファルのため息が聞こえ、リリシアは我に返る。 「うるさい。とっとと食べて帰れ」 「そうはいかないわ。今日はお祝いも兼ねてリリシアちゃんに会いに来たんだから!」 反論するエルシーにルファルは冷え切った視線を向けた。 「――やはり、書類は表向きの名目で、それが本来の目的か」 その声は震えあがる程にとても低い。 エルシーは眉を下げ、ぎゅっと握った拳を口元に添える。 「……だって、いつも『家に来るな』の一点張りで、ちっともリリシアちゃんに会わせてくれないんだもの。ルファル様とは同い年で付き合い長いから、ようやく素敵な花嫁候補さんが出来たって聞いちゃったら、どんな子かな、直接お祝いしたいなって思うのは当然じゃない」 「お前の祝いなど無用だ」 「ルファル様、ほんと冷たい~でもねでもね、今日、リリシアちゃんと会えちゃった! きゃ! だから、やっと伝えられる」 エルシーはまるでこれから結婚式の誓いを立てるかのような眼差しでリリシアを見つめる。 「リリシアちゃん、ルファル様の花嫁候補になってくれてありがとう。ルファル様を末永くよろしくお願いね」 「は、はい……」 「今日はいっぱいお祝いするね、リリシアちゃん」 「あ、ありがとうございます……」 リリシアとエルシーの間に花びらが舞っているかのような雰囲気が漂う。 隣のルファルは、エルシーの自分の姉のような発言と振舞いに何か言いたげだったが、口を噤(つぐ)み、呆れた表情を浮かべた。 するとエルシーはリリシアの首に視線を移す。 「そのリリシア様の首に付けているネックレス、シャイン皇帝に授かったものよね? シャイン皇帝の気配を感じるわ」 リリシアはぎくりとする。 「あ…………」 エルシーは星の魔術師……月除けの宝石だと見抜かれ、自分が“呪い月”であることがバレたのでは……。 「素敵ね!」 「え……」 「憧れのシャイン皇帝からネックレスを授かっちゃうなんてリリシアちゃん、すごい!」 ……どうやら、バレていなかったようだ。 リリシアは内心で安堵する。 「私なんて
* * *「このパイのお肉、おいし~」宴の部屋の席で夕食を口にしたエルシーが幸せそうに呟く。急遽、リリシアはこの場に豪華な料理を運び、そのまま慎重にお出ししたが、気が気でなかった。料理には自分が作った鹿肉が入った黄金のパイ包み焼きも含まれていたからだ。丁寧に焼き上げたものの、口に合うかどうか不安であったが、大丈夫だったよう……。リリシアは自分の席で、ほっ、と安堵の息を吐く。エルシーの肩に乗った精霊もすました顔でパイの横に添えた美しい花の葉をかじって食べており、その姿がなんとも可愛らしい。「……あれ、リリシア様、自分の料理は?」「あ、わたしは後で頂くので……」「そんなのだめよ! ほら食べて食べて!」エルシーがパパッと料理を一種類ずつ皿に取り、リリシアの前に並べる。「エルシー様、ありがとうございます」「リリシア様、そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。エルシーでいいわ! 私はリリシアちゃんって呼んでも良いかしら!?」「は、はい……ではわたしはエルシーさんで……」「きゃ! 嬉しい!!」両頬に手を当てながら甲高い声を上げるエルシーをよそに、リリシアは皿の料理に視線を移す。「……こんなに……どうしよう……」「もう食べられるだろう」隣で食すルファルに言われ、リリシアは恥ずかしさでいっぱいになる。どうやら呟きがルファルに聞こえていたようだ。今までの習慣ですっかり夜はもうだめなのだと頭に記憶されていたけれど……、そうだ、もう夜は大丈夫なのだ。「い、頂きます」リリシアはフォークを手に取り、料理を食べ始める。そんな中、エルシーもパクパクと料理を食べ進めていく。幸せそうな顔で頬張る彼女の姿にリリシアは驚き、ルファルは、よく食べるな
「え……」リリシアは小さく声を上げた。(この方が星の魔術師だったなんて……そうとは知らず、わたし、無礼なことを……)「あ、あの……」リリシアは声をかけ、謝罪しようとする。が、エルシーの甲高い声に遮られた。「きゃ、今の星の魔術師ぽかったよね!? ばっちり決まってたよね!? ね!? ね!?」リリシアはエルシーに圧倒されながらコクンと頷く。その時だった。広間の扉が開く。「――おい、私の許可なく、何を勝手に入っている」低い声が響き、着替えたルファルが広間に入ってきた。「冷たい~。せっかく、ルファル様の仕事の書類を届けに来たっていうのに」「仕事の書類だと?」ルファルはエルシーから書類を受け取る。* * *ルファルが目を通すと、書類には、『一週間後、フェリカディア宮殿会議室にて、神魔会議を開く。全隊員参加せよ』と魔術語でシャイン皇帝の字が綴られていた。リリシアの儀式が終わった後、シャイン皇帝の私室にてふたりで話し合い、彼女の姉、ユエリアについては、呪いを軽減する呪い除けのブレスレットを手配するという形となり、神魔会議についての話に移ったのだが――。『リリシアを神魔会議に参加させたく思う』『お待ち下さい、リリシアを参加させれば会議は荒れ、彼女の身が危ないかと』『やはりリスクが高いか。ならば、リリシアなしで話を進めよう。――だが、日の光が降りてきた際はそれに従う。良いな?』との話に落ち着き、了承せざる終えなかった。しかしながら、今のところ、リリシアの参加はないようだ。「参加者は魔術師だけのようだな」「当り前じゃない。神魔会議なんだから」「神魔会議……?」リリシアが尋ねると、エルシーが説明する。「神魔会議っていうのはね、神魔術隊に属する魔術師全員が参加必須のシャイン皇帝の前で開く会議のことで、一週間後にその会議が宮殿で開かれて、今回は
書斎の扉が反動で閉まると、ルファルの手が腕から離れる。「……それでどこへ行こうとしていた?」(低い声……相当怒っているわ……)リリシアは胸の上にぎゅっと両手を重ね合わせ、口を開く。「ソフィラさんの元に母からの手紙が届き、居ても立っても居られず、宝石を届けてもらおうとソフィラさんのところへ……わたしは売られた身であり、お姉さまの元へは帰れない為、せめて宝石だけでもと……」ルファルの目が鋭く細まるもリリシアは話を続ける。「もしかしたらシャイン皇帝がわたしの呪いを解こうとした影響が、お姉さまにも出ているのではないかと思い、シャイン皇帝から授かったこの宝石をお姉さまに届けられたら効くかもしれないと思って……」「シャイン皇帝からの恩を仇で返すつもりか」ルファルが冷酷に怒鳴ると、リリシアの瞳が揺れる。「ですが、お姉さまが呪いにかかったのはわたしのせいなのです……だから……どうしても救いたいのです……」「私の時間をも無駄にしてでもか?」「ち、違……」「何が違う? 自分自身も救えていないくせに姉を救える訳がないだろう、ふざけるな」リリシアの右目から一筋の涙が流れる。ルファルが両目を見開くと、リリシアの身体がふらりと傾く。ルファルはとっさに腕を引き、リリシアの身体を支えた。「リリシア、言い過ぎた。すまない」「い、いえ、ルファル様のおっしゃる通りです……わたしの方こそ……申し訳ありません……」謝ると、ルファルは封筒から紐に通された宝石が入った小さな袋を取り出し、リリシアの首に付ける。「もう2度と自ら外すな。もっと自分を大事にしろ」「は、はい……」
* * *――夜が明けた頃。瞼を上げ、ゆっくり隣を見ると、ルファルはいなかった。リリシアは布団を顔に被せる。一瞬でも、もしかしたらルファルが寝ているのではないか。そんなふうに期待した自分が恥ずかしく、同時に少しの間一緒に寝たのは事実なのだと悟る。――ああ、このままずっと隠れていたい。だが、その思いも虚しく、廊下からコンコンと扉を叩く音が響く。「リリシア、起きろ。これより帰宅する」自分はこんななのに、ルファルは相変わらずのようだ。「か、かしこまりました……」「では、貴族専用の玄関で待っている」ルファルの足音が遠ざかっていくのが分かった。昨日、ルファルにお姫様抱っこでシャイン皇帝がいる部屋まで連れて行かれたこともあり、部屋の前で待たれる可能性も十分あったけれど、助かった……。(……今、会ってもどんな顔して良いか分からないもの)部屋のクローゼットを開くと、昨日、衣類保管室で着替えた正装のドレスがあり、誰がいつの間に持って来たのかは分からないが丁寧に掛けてあった。リリシアは素早く着替えを済ませ、髪を整え、部屋を後にする。そのまま、廊下を歩き、回廊階段を降りて、貴族専用の扉がある玄関でルファルと合流し、準備された外の馬車に、ルファルに続き乗り込む。やがて、昨日と同じ案内人が頭を下げる中、馬車が動き始めるもリリシアは意識してしまい、ルファルの顔を一切見ることが出来ず、気まずいまま、邸宅へと戻った。その後、邸宅の外の玄関先でソフィラを含め使用人達に出迎えられる。「ルファル様、リリシア様、おかえりなさいませ」使用人達が会釈し、リリシアはルファルの後に続いて歩き出す。するとソフィラに呼び止められる。「リリシア様、少し宜しいでしょうか?」「は、はい」「リリシア様宛てにミア・ベルフォード様より手紙が届いております」ソフィラの言葉にリリシアの身が凍り付く。「母が、わたしに手紙…&h







